相続・遺言
タイの遺産相続に関する法律は外国人である我々には関係のない話だと考える方がほとんどでしょう。しかし、タイに居住している人のほとんどが銀行に預金を持っているでしょうし、株式等の有価証券や自動車、コンドミニアムを所有している方も多いでしょう。また、タイに住んでいなくても投資目的でコンドミニアムを購入し、賃貸に出している方もいらっしゃいます。
タイ国内にこれらを保有されている方が亡くなられた場合、これらの債権、動産、不動産等は遺産相続の対象となりますので、タイの法律に基づいて手続きをしない限り、銀行口座を解約したり、名義変更をすることができません。
つまり、差し迫って必要ではないものの、将来的に必ず必要になる法律と言えます。このため、ここではタイの相続に関する法律の基本を説明していきます。
血族
日本の民法にあたるタイの民商法では、遺産相続人として「法定相続人」と「受遺者」(遺言書による相続人)の2種類が規定されています(民商法第1603条)。
そして、法定相続人には「法律上の配偶者」と「血族」があります。
このうち「血族」は次の6段階に分かれます(民商法第1629条第1項)。
(1)子
(2)父母
(3)父母が同じ兄弟姉妹
(4)父または母が同じ兄弟姉妹
(5)祖父母
(6)おじ、おば
相続において先順位の相続人またはその代襲相続人がいる場合、後順位の相続人に相続権はありません(同第1630条第1項)。ただし、(1)の子またはその代襲相続人がいる場合、(2)の父母も(1)と同順位となり、相続権が発生します(同第1630条第2項)。
※民商法第1629条において、「血族」の第1順位は「直系卑属」と定義されていますが、実際には被相続人に子がいる場合、孫、ひ孫等に相続権は発生しませんので、当解説上では子としています。孫、ひ孫は代襲相続、再代襲相続の対象となります。
配偶者
「法律上の配偶者」は常に法定相続人となりますが(民商法第1629条第2項)、被相続人に特有財産(被相続人個人の財産)と婚姻財産(婚姻から被相続人の死亡時までに生じた財産)がある場合、まず婚姻財産の2分の1を配偶者に分割したうえで、婚姻財産の残り2分の1と被相続人の特有財産の合計を相続の対象とし、法定割合に応じて遺産分割することになります(同第1625条、第1635条)。
法律上の配偶者の法定相続分は次の通りです(同第1635条)。
- 第1629条(1)の子またはその代襲相続人がいる場合、配偶者は(1)と同順位となり、(1)とともに等分割する。
- 第1629条(3)の父母が同じ兄弟姉妹もしくはその代襲相続人がいる場合、または第1629条(1)の子がおらず、第1629条(2)の父母がいる場合、配偶者の法定割合は2分の1となる。
- 第1629条(4)の父または母が同じ兄弟姉妹もしくは(6)のおじ・おば、またはその代襲相続人がいる場合、または第1629条(5)の祖父母がいる場合、配偶者の法定割合は3分の2となる。
- 第1629条に定める法定相続人がいない場合、配偶者の法定割合は100%となる。
そして、配偶者に分割されたあとの残りを血族が受け取ることになり、同順位に複数いる場合は等分割し、1人の場合はそのすべてとなります。
子の要件
民商法第1629条の「血族」の第一順位である「子」の要件は次の通りです。
(1)嫡出子
母親から出生した子は、母親が婚姻中か否かにかかわらず常に母親の法律上の子となります(同第1546条)。
父親については、子の出生時において母親が婚姻中の夫を法律上の父親としています。これは婚姻終了後310日以内に出生した子も含みますが、同期間内に母親が別の男性と婚姻した場合は当該男性が法律上の父親となります(同第1536条、第1537条)。
(2)非嫡出子
婚姻していない母親から出生した子は父親の法律上の子とはならないため、相続権はありません。ただし、次のいずれかに該当する場合、法律上の父親となります(同第1547条、第1557条、第1558条、第1627条)。
- 子の出生後に父母が婚姻登録をした場合
- 父親が子を認知登録した場合
- 子であることを裁判所が最終判決した場合
(3)養子縁組した子(同第1627条)
法律上の子と同様、直系卑属と取り扱われ、相続権が発生します。ただし、養子の場合は養親に対してのみ相続人となります。
父母の要件
民商法第1629条の「血族」の第二順位である「父母」の要件は次の通りです。
被相続人を産んだ母親は常に法律上の母親になりますので、被相続人の父親との婚姻、被相続人の認知は必要ありません。
一方、父親は次のいずれかに該当する必要があります。
- 被相続人の母親と婚姻登録した男性
- 子を認知登録した男性
- 裁判所の判決により被相続人が子であると認められた男性
なお、被相続人の養親は法定相続人とみなされませんので、相続権はありません。
代襲相続
民商法第1629条の(1)(3)(4)(6)が死亡または相続欠格の場合、その直系卑属が代襲相続することが認められています(同第1639条)。また、再代襲相続も直系卑属が途切れるまで認められています。このため、養子は代襲相続が認められません。なお、養親の相続において養子が先に死亡している場合、養子の直系卑属は代襲相続が認められます(最高裁判例290/2494)。
同1629条の(2)と(5)が死亡または相続欠格の場合、同順位の者のみが相続することができ、代襲相続は認められていません(同第1641条)。
遺言による相続は代襲相続が認められていません(最高裁判例2784/2515)。
相続欠格
他の相続人が不利益を受けることを知りながら、自己の受け取り分と同等またはそれ以上を移転または秘匿した場合、相続欠格となります。ただし、自己の受け取り分未満を移転または秘匿した場合はその部分についてのみ相続欠格となります(民商法第1605条)。
また、次に該当する者は相続欠格者となります(同第1606条)。
- 被相続人または相続の権利を有する者を違法な方法により死に至らしめた、または死に至らしめようとしたと最終判決を受けた者
- 死刑となる犯罪を犯したと被相続人を告訴したが、偽証罪の最終判決を受けた者
- 被相続人が殺害されたことを知りながら、犯人を隠匿する目的で証言しなかった者(当該人物が16歳未満の者、精神障害者、犯人が自己の両親、直系尊属、直系卑属であった場合を除く)
- 被相続人を欺罔、脅迫等により遺言書を作成、取り消し、改変させた者
- 遺言書を偽造、廃棄、秘匿した者
相続欠格は相続欠格者のみに適用され、その直系卑属はその相続権を承継します(同第1607条)。
相続廃除
被相続人は次の方法により相続人を廃除することができます(民商法第1608条)。
- 遺言
- 役所担当官に対する書面での通知
遺産相続をすべて遺言書で指定した場合、遺産相続されなかった法定相続人は相続廃除されたものとみなされます(同第1608条)。
相続廃除は取り消しが可能です(同第1609条第1項)。この場合、遺言による相続廃除は遺言によってのみ取り消しが可能ですが、書面による相続廃除は遺言または書面での通知のいずれも可能となります(同第1609条第2項)。
相続放棄
相続放棄はその意思を役所担当官に対して書面で通知するか承諾書を作成する必要があります(民商法第1612条)。
一部分の放棄、条件付きまたは時限付きの放棄はできません。また、相続放棄は取り消しできません(同第1613条)。
相続放棄は被相続人の死亡時に遡って適用されます(同第1615条)
法定相続人が相続放棄した場合、その直系卑属は法定相続人が放棄した遺産を相続できますが、遺言による相続人(受遺者)が相続放棄した場合、その直系卑属は受遺者が放棄した遺産を相続できません(同第1615条、第1617条)。
被相続人の生存中は相続放棄ができません(同第1619条)。
遺言
タイの遺産相続においては、遺言がある場合は遺言に基づいて行われ、遺言がない場合、遺言に法的効力が生じない場合、遺言に記載のない遺産がある場合等は法定相続のルールに基づいて行われます(民商法第1620条)。
遺言が一部しか法的に有効でない場合は、有効な部分のみ遺言に基づいて遺産分割が行われ、有効でない部分は法定相続に基づいて行われます(同上)。
また、法定相続人が遺言に基づいて遺産を受け取った場合において、遺言に定められていない遺産がある場合は当該部分について法定相続に基づいて受け取る権利を有します(同1621条)。
従って、財産(遺産)を自分の希望通りに相続させたい場合は法律の定めに則って正しく遺言を作成しておく必要があります。
遺言の方式
タイには遺言の方式が次の5種類あります(同第1656条、第1657条、第1658条、第1660条、第1663条)。
- 普通遺言(自筆、印刷のどちらでもよいが、自署および証人2人が必要)
- 自筆証書遺言(すべてを自筆。証人は不要)
- 公正証書遺言(市役所、郡役所で作成。証人2名が必要)
- 秘密遺言(遺言書を作成して封印し、市役所、郡役所に届け出。証人2名が必要)
- 口述遺言(死亡間近、伝染病感染、戦争等の特別の事情がある場合に可能。証人2名が必要、かつ証人は市役所、郡役所に届け出)
遺言の内容は、遺産相続以外にも葬式、未成年者に対する保護者の指定、相続執行者の指定、相続廃除者の指定なども記載することができます。ただし、法に抵触すると解釈される部分は無効となります。
遺言書例
普通遺言の一般的な書式をご紹介します。
この方式は自筆でも印刷でもどちらでも構いませんが、今回のサンプルは弁護士が作成した形式となります。また、普通遺言の場合は証人が2名必要となりますので、ご自身で用意されるか、内容を知られたくないという場合は弁護士事務所の他の弁護士等が証人として立ち会い、署名することも可能です。
遺言書 場所:
当遺言書は同一内容のものを2部作成し、(保管者氏名)が1部、(保管者氏名)が1部を保管する。 当遺言書作成時において、遺言作成者は心身ともに正常な状態にあり、自らが遺言書を読み上げ、すべての事項が正確であることを保証し、証人2名の面前において署名する。 署名 遺言者 証人2名は、遺言者が当遺言書を読み上げ、遺言作成時において心身ともに正常な状態にあり、証人2名の面前で遺言書に署名したことを保証し、以下の通り署名する。 署名 証人 署名 証人 当遺言書は、弁護士(弁護士氏名)が作成および印刷した。遺言作成者は自らが遺言書の内容を正確に読み上げ、証人2名の面前において署名したことを保証し、弁護士として以下に署名する。 署名 弁護士・作成者 |
相続執行者
相続執行者(ผู้จัดการมรดก)とは、被相続人の死後に遺言や法定割合等に基づいて遺産分割手続きを執行する者をいい(民商法第1719条)、遺言または裁判所による選任により指定します(同1711条)。また、複数の相続執行者を指定することも可能です(同1715条)。この場合、単独で行うことはできず、多数決を原則とします(同1715条、同1726条)。
相続執行者は法的に必ず指定しなければならないものではありませんが、遺言で相続執行者を指定しておいたほうがスムーズな遺産分割手続きが可能となります。特に相続人間で争いが起きそうな場合は遺産分割の方法と合わせて指定しておいたほうがよいでしょう。指定がない場合は裁判所に相続執行者の選任を申し立てることになります。申し立てができるのは法定相続人、受遺者(遺言による相続人)、利害関係人(債権者、内縁関係にある配偶者等)です。
申し立てには以下の書類が必要となります。
- 被相続人の身分証明書、住居登録証(タビアンバーン、ทะเบียนบ้าน)
- 申立人の身分証明書、住居登録証(タビアンバーン、ทะเบียนบ้าน)
- 死亡登録証(モラナバット、มรณบัตร)
- 財産目録(土地権利書、銀行通帳等)
- 相続人関係図
- 相続人の同意書
時効
相続に関する請求権は被相続人が死亡したとき、または法定相続人もしくは受遺者が被相続人の死亡を知ったとき、もしくは知り得る状態にあったときから1年以内です(民商法第1754条第1項、第2項)。
債権者が被相続人に対して有する請求権の時効が1年を超える場合、債権者が被相続人の死亡を知ったとき、または知り得る状態にあったときから1年以内となります(民商法第1754条第3項)。
すべての請求権の時効は被相続人が死亡したときから10年となります(民商法第1754条第4項)。
具体的な相続手続き
以上、民商法の第6編「相続」の重要部分を説明しましたが、では実際に相続が発生した際、どのような手続きが必要になるでしょうか。
タイ国内に被相続人名義の銀行口座やコンドミニアムがある場合、銀行での口座解約や土地局での相続登記といった手続きが必要になりますが、その際に裁判所発行の審判書の提出が要求されます。この審判書は裁判所が相続執行者を選任したことを証明する書面で、法律上は相続執行者の選任が義務付けられていない場合においても実務上は相続執行者選任が要求されることになります。これは相続に関するトラブルが多発したため、裁判所発行の公的書類を求めるようになったものと推測されます。このため、裁判所で相続執行者の選任手続きを行うことがタイにおける相続手続きのスタートとなります。なお、遺言で相続執行者が指定されている場合も同様です。
では、遺言を作成しておく必要はないのかというとそうではありません。どの財産を誰に与えるのかといった自己の死後の意思を記録として相続人に残しておくことは必要ですし、特にどんな相続財産があるのかをまとめておくことは必須です。例えばタイ国内に住んでいた親が急逝し、日本に住む親族がタイ国内で相続手続きを行うというケースにおいて、なんらかの手がかりがないとタイ国内にどんな財産を有していたのかを調べるのは並大抵のことではできません。相続人が1名のみといった場合では財産目録の作成だけでも十分ですが、遺言に相続人、相続財産、分割方法、相続執行者を記録しておけば相続人の負担軽減に繋がるでしょう。